ポルトガル人の道4   6月25日(土) バルセロス - Lugar do Corga

 バルセロスの快適な私営アルベルゲ。朝飯はキッチンでインスタントの玉ねぎスープを作り、昨日の残りの卵3個とパンを入れる、お得意料理(料理?)。桃缶の残りとヨーグルト2個も食べて健康的。ここには大きなテーブルがひとつしかないので、同じテーブルでドイツの女性3人が何やら賑やかにお喋りしている。もちろんドイツ語なのでまったく分からない。
 英語で話してくれたところによると、若い二人はポンテ・デ・リマまでの34.5kmを歩くそうだ。私は昨日28キロ歩いて疲れているので、手前のLugar do Corgo迄の21kmにしときたい。そこには私営アルベルゲのCasa da Fernandaと言うのがあるらしいのでそこを目指す。

 巡礼路は昨日の城の脇を通っていた。この町の象徴とも言うべき大きな鶏が城の広場に設置してある。これは「フランス人の道」が通過する町、サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサダと言う長い名前の町に伝わる伝説と同じもので、どっちかが真似したとしか思えない。しかし、どちらも自分ちが本家と絶対に譲らないだろう。

 田舎道に入ると先に出発して行った女の子の足跡が砂の巡礼路にくっきり残っている。靴の模様は誰のだか分からないが、この道を歩くのは今の時間、巡礼だけだろう。同じ模様の靴型がずーっと続いているので二人の内どっちかでまず間違いない。面白いもんを見つけたので足跡を追うという変わった楽しみが増えた。

 小さな村の細い道にも石が敷き詰められていて、その両側は良く見られる石を積み上げた低い塀で囲われている。路上には花びらや葉っぱが延々と落ちていて、石塀の上の所々にまだ消えていない赤い蝋燭がガラス筒の中で揺れていた。ここで昨日か今日、マリア様の行列があったのかと想像する。似たタイプの大きな祭りはテレビで紹介されてたのを見たことがあるが、こんな小さな村でも同じような祭りをやっていたようだ。時間が合えば見てみたかったな。

 小さな教会にあった案内板を見ていたら、アルベルゲで一緒だった年配のドイツ婦人がやって来た。ひと言ふたこと言葉を交わした後は一緒に歩くようになり、10km歩いたTamelの村に公営アルベルゲがあったので、私の日程は余るから早目にここで泊まってもいいかなぁとバックパックを下してベンチで暫く考えていると、ドイツの婦人はあっちに行ったりこっちに行ったりして付近を探検しているようで、この場から離れないでいる。私が出発するのを待っているのか、ちょっと行動が変だな。どうしようかと考え続けていると待ちくたびれたのか婦人は行ってしまった。

 やっぱり時間がまだ早いので次のアルベルゲを目指すことにする。200mほど歩いて村外れまでやってきたら、ドイツ婦人はまだそこに居て、私を見て笑っている。近くにバス停があるので、バスに乗ってしまおうかどうしようかと考えていたそうだ。貴方はポンテ・デ・リマまで行くのかと聞くので、手前のCasa da Fernandaだと答えると自分もそうすると言って一緒に歩きだした。どうも先ほどの不可解な行動と合わせて推測すると、実は私と一緒に歩きたかったらしいのが分かる。ソロで巡礼している女性は多く、人里離れた山の中や離し飼いの犬が多いスペインの道を女一人で歩くのは男よりずっと不安で心細いのは容易に想像できる。そう言う人は一緒に歩く道連れを常に求めているのかも知れない。私は道連れとしてお眼鏡に適ったのだろう。どうもありがとう。

 おばさんの名前はマリアで、私の年齢を尋ねてから自分から69歳だと言って来た。でも、すぐ70になるとまで付け加えている。それにしては若く見える。聞く前は66の私とどっこいかと思っていた。
 スティックは持たず、靴も普通のズックだ。スティックなしで坂道はどうするんだろうと見ていると、ひょいひょいと足取り軽く上って行くので体力はありそうだ。スティックはいいとしても、あのズックで石畳の道は痛いだろなーと思う。ポルトガルの石畳は10cm四方のごつごつした自然石を斜めに敷きつめているので、どう歩いても角を踏むことになってしまう。靴底がしっかり作られている私のウォーキングシューズでさえ閉口しているのに普通のズックだ。でもひとつも泣き言は言わないのでさすが気丈なドイツ夫人という感じがする。(写真はその石で、敷き詰める工事をしていた)

 アスファルトが溶け出して靴にネチャネチャくっついて来るのが気持ち悪いので、なるべく溶けていない所を探しながら歩く。そんな道を延々と歩いて行くと村に水飲み場があった。出しっぱなしの湧水じゃなくて蛇口が付いているからちゃんとした水道だ。もちろんボトルに水を汲ませてもらい、頭にも水をぶっかける。こうすると暫くの間は涼しくて快適だ。マリアもやったら?と提案したが、やっぱりそこまではやらないらしくボトルに汲んでるだけだ。涼しいのになー。
 蛇口には何やら立派なレリーフがあったので、あとで訳してみたらこの辺りの教会がペリグリノのために設置したものらしかった。次の村にあった小さな教会の前にも水道があったので、また頭に水を掛ける。こういうのが30分置きにあると暑い道でも元気に歩き続けられる気がするが、そんな幸運は滅多にあるものではない。

 村を出たところの十字路に看板が立っていて、巡礼路を外れるが50mの所にバルがあると書かれている。コーラも飲みたいし腹に何か入れときたいので寄り道することにする。実際には100m以上あったが何とか客を引き寄せようとする手段なのだろう。バルの庭先に入って行くと地元の夫人二人がオォッと言う顔をして何故か反応しているので、ペリグリノが珍しいかと思ったが、良く見ると隣にバックパックが置かれていたのでこの人たちも仲間と言うことが分かり「ペリグリノ?」と声を掛ける。アメリカのニューメキシコからやって来たおばちゃんペリグリノで、二人とも普通のスカート姿だ。スカートで歩いている人は滅多にいないので地元の人かと思った。いまだけでも4人があの看板に引き寄せられた訳だから、看板効果は抜群のようだ。

 英語が堪能なマリアが何やらアメリカ婦人とお喋りを始めている。英語が自由に喋れる人は本当に羨ましい。と同時に英語が母国語の人は何の苦労もせずにこの幸運を享受できるのに、自分自身はその幸運には気が付いてないんだろな。
 私はコーラと旨そうなカステラみたいのを食べる。コーラとビールは同じ値段なので、いつもはビールだが、たまーにコーラも無性に飲みたくなる時がある。一休みした後はこの4人で一緒に歩きはじめる。滅多にペリグリノに会わないこの道では、出会うと大抵こうなる。
 田舎道で向こうから半裸のおじさんペリグリノがやって来たので、ファティマへ行くのかと聞いたらそうだって。このサンチャゴ巡礼路はファティマの巡礼路と重なっている割に逆方向から歩いて来る人は滅多にいなくて、ファティマへ行くと言った人には初めて会った。でもリスボンからならもっと居るのかな?こっちからファティマを目指す人はサンチャゴ巡礼の帰りに行くのかも知れない。

 今日の目的地まではまだ1時間は有るだろうと思って歩いていたところ、農家の入口みたいな所に小さな看板があってそこが今日の宿だった。庭に通じる入り口にはブドウのツルが覆いかぶさっていて建物は見えないし、看板を見落とすと絶対に通り過ぎてしまいそうだ。1時半にあっけなく到着。入口もそうだが、入って行くと農作物や雑草が生い茂っていて普通のアルベルゲとは全然違っていた。3匹の小型犬が自分のテリトリーに入って来た曲者にキャンキャンとやかましく吠えかかって来る。毎日色んな人が泊まって行くアルベルゲなのにこんなに吠えるのか。いい加減慣れろよ。
 犬は無視していたら、後ろからズボンの裾に噛みついてきた。蹴飛ばしてやりたくなったが、これから泊めて貰う家の飼い犬なのでそうも出来ないから睨めつけてやったら後ずさりしている。まったく犬って奴は。

 受付時間はまだ先のようなので、みんなで屋根の下のくつろぎスペースでのんびり休ませてもらう。日向はえらいこっちゃだが日陰は涼しく、ソファーもあって快適。なぜか煮豆が皿いっぱい出てきた。待っている間にこれでも食べててと言うサービスのようだ。暫くしたら娘さんががやってきて受付をしてくれる。夕飯・朝飯がついてドナティーボだそうだ。私営なのに。宿泊費は明日出発の時でいいそうなので、サービスが気に入ったら見合う額を入れればいいらしい。ベッドルームに入って行くと、ここは全てが平ベッドだった。たったの10ベッドしかないが今のところは余裕だ。

 露天の洗濯場はとても粗末だったがこれで十分だ。日差しが強いのですぐ乾いてくれるだろう。その後はいつものようにビールが飲みたいので村の中を探してみるが、この村は隣の家まで数百メートルも歩くような淋しい村だった。暑い中を彷徨っても結局見つからなかったので仕方ないから帰って来ると、外の団欒スペースでビールを飲んでいるおじさんがいる。どうしたのか聞いたらオーナーが売ってくれたそうだ。私もすぐ隣にあるオーナーの自宅に行って2本お願いする。幾らと聞いたら明日のドナティーボと一緒でいいそうだ。ありがたく頂く。

 靴底を見たら、溶けたアスファルトがこびりついているので丹念に剝しておく。マリアはどうかなと靴置場を見てみたら、マリアの靴底は擦り切れてツルツルだった。おまけに1cm近い小石まで埋まっていたので、こんな靴で歩いていたのかと哀れになった。強力接着剤は持っているので、靴底に何か貼れるといいのだが周りを見回しても手頃な材料が何もない。小石だけほじくり出して、また靴置場に戻しておく。マリアは靴を買う金がないのかな?これじゃぁ足を痛めてしまうので早急に買い替えた方がいいと思う。

 夕飯を食べられるのは有難いが7時からだそうだ。昼飯を食べていないので手持ちのクッキーを食べて繋いでおく。
 後から到着してきたカップルの女の子の靴が凄いことになっていた。靴底が剝がれてバカバカしている。それをセロテープでぐるぐる巻きにして何とか凌いでいる。これこそ日本から持ってきた強力接着剤の出番だ。接着面を奇麗にしてからたっぷりと塗ってやり、乾くまでのあいだセロテープでぐるぐる巻きにして、おまけに結束バンドで締め付けておいた。そしたら「こっちもなの」と反対側の靴も剥がれ出したことを申告してきたのでそっちも同じように修理してあげる。だがこの接着剤の固まるまでの時間は24時間と謳っているので明日出発までには時間が足りないのが少々不安だ。
 誰かが後から教えてくれた所によると、このカップルはアメリカとイギリス人同士だが、昨年、フランス人の道で出会って仲良くなり、今年は申し合わせてこうしてポルトガル人の道を歩いているそうだ。そんなこともあるんだな。

 やっとお待ちかねの夕食の時間になったので、みんなでオーナーの本宅に移動していく。オーナーは「せんだみつお」にそっくりのお爺さんで、その子供夫婦が実際の切り盛りをしているようだ。奥さんの方が遠慮なくオーナーに振る舞っているので、奥さんが娘かも知れない。ネットからせんだみつおの顔写真を出して見せて上げようと思ったが実際に見たせんだみつおは、そっくりと言うほどでなかったので止めといた。

 旨そうな田舎料理がたくさん並び、食べ放題、飲み放題で腹がいっぱいになる。食べ終わったらオーナーがギターを出してきて即席コンサートの始まり。最初はみんなの知っている懐かしい歌から始まり、私もメロディーだけは知っているのが幾つもあった。歌詞は分からないけどラララでメロディーを歌ってやると、日本人も知っていたと受ける。

 オーナー家族は興が乗って来たようで、家中の酒を出してくる。中でもポルトガル名物ボルトワインが旨かったので、何杯も頂く。これも飲んでみろと勧められて飲んだ透明の酒は飲むなり咳き込むほど強力だった。
 歌の方は後から後から止むことなく歌われて、そう言えばポルトガルにはファドと言う有名な民謡(?)があったのを思い出し、「これファド?」と聞いたらそうだそうだ。図らずも有名なファドと言うものを聴けたので嬉しかった。若いカップルは食堂の隅っこで踊り出したので、「欧米か」と突っ込みを入れたいところだ。

 普段は緊張しているのか、幾ら飲んでも滅多に酔うことはないのだが、さすがにこの日は酔ったようでこんな感じだ。マリアがどんだけ飲んだのか知らなかったが、写真を見るとマリアも酔っていたようだ。これだけ飲ませてくれるアルベルゲは後にも先にもここだけだった。

  明日の朝食は7時からと教えて貰ってお開き。こんなに飲み食いさせて貰ったんだから、明日のドナティーボには20ユーロ入れようと密かに思った。円ならたったの2,400円ほどだが、昨日の私営アルベルゲの宿泊費がたったの5ユーロだったことだし、ここポルトガルの物価を考えるとまぁまぁだろう。


ポルトガル人の道5につづく